作文を親が教えるのは難しい。断念した3つの理由
小学生に作文の勉強をさせようと思う時、まっさきに、「親が子供の作文を読んで、添削指導をしたらいいのではないか」というアイディアが浮かぶのではないでしょうか。
しっかりした添削指導を受けられる作文の通信教育は、どうしてもそれなりの費用がかかります。
親が教えればタダだし、得じゃない?
そんな気がしますよね。私もそう思って、作文を子供に教えようとしたことがありました。
結論からいうと、うまくいかなかったばかりか、下手に教えようとしたせいで悪い影響もあったのでは…と、ちょっと後悔しています。
作文だけは、親が教えず、作文教育のプロに指導を任せるべきだというのが、苦い失敗から導き出した私の結論です。
それでは、私が作文を子供に教えることを断念した3つの理由を書いていきたいと思います。
評価しようとしてしまい難しい
たぶん親は(というか私は)、子供が書いた作文を評価しようとしてしまうんだと思います。
作文の学習として子供が書いたものは、子供の成長過程を表す大切な作品ではあります。
でもそれは、完成した作品ではないんです。そのことを親である私は、すぐに忘れてしまいます。
そして子供に余計なことを言ってしまうんです。
完成した作品として評価するのではなく、練習のために書くことで何かを学び取ろうとしている作文に対するアドバイスの仕方というものが、あるのだろうと思います。
数多くの小学生の作文を読み、添削指導を続けてきた先生たちだからこそ、自然にそういう読み方、アドバイスの仕方ができるのでしょう。
長い目で見ることが難しい
子供の作文といったらほとんど「自分の子供の作文しか読んだことがない」
これが親です。
自分の子の作文を読んで、「まだ1年生だし、こんなもんかな」と思っていると、たまに、学年のプリントに印刷されてくる、作文の上手な子の作品を読んで、愕然としたりします。
本に載っている模範的な作文の例や、小学生の作文コンクールの入賞作品を読んでしまい、さらにショックを受けたりもします。
作文指導のプロの先生は、数え切れないほど多くの子供たちの作文を読み続けています。
1年生のときはたどたどしくても、6年生になる頃には600字の作文をしっかり書けるようになる。
こういったことは、親にはわかりません。
1年生のたどたどしい作文を読めば、
「6年生になってもたどたどしいままだったらどうしよう」
そう思ってしまうのが親です。
そしてせっかく作文を書き上げた子供が気を悪くするようなことを言ってしまうのです。
子供も親にだけは言われたくないと思うから難しい
作文には、自分というものが表れるので、安易にアドバイスされたり、ダメ出しされたりすると、とても腹がたつことがあります。
算数の問題でまちがえて、バツをつけられるのとは、傷つき方がちがうのでしょうね。
特に高学年で微妙な年頃になってくると、添削の先生からのアドバイスとしてなら受け入れられるけど、親にだけは言われたくない、ということが、おおいにあると思います。
「親はどんな作文もほめるだけ。アドバイスは指導のプロに任せる」というのが、理想だと思います。
作文を親が教えるのは難しい
ここに書いたことは、文章を書くのがもともと好きな子にはあてはまらないかもしれません。
文章を書くのが好きな子は、教えても教えなくても、どんな教え方をしても、楽しんでたくさん書いて、自然に上達するのかもしれません。
そうではなく、作文がちょっと苦手みたいだな、好んで文章を書きたがらないな、という兆候が見える子の場合は、下手に教えようとすると、作文嫌いになりかねません。
客観的に
冷静に
おおらかに
長い目で見て
そして肯定的な言葉をかけ続けること…。これが、親だからこそ難しいんです。
お子さんの好みに合う教材を、早く見つけてあげてほしいなと思います。
うちは、低学年から5年生の途中までは、ブンブンどりむ、その後はz会の通信教育で、子供に作文の勉強をさせました。
作文が得意な子に変身した、とまでは言いませんが、45分間で400字、60分で600文字といった作文の課題に、対応できるようになってきました。
どちらも無料でお試し教材をもらうことができるので、作文ちょっと心配…と思っている方は、取り寄せてみてはいかがでしょうか。
→公式サイト 作文の通信教育「ブンブンどりむ」
→公式サイト Z会の通信教育 小学生コース